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配当が年収を超えたら、私は会社を辞めるのだろうか

今の私の悩みを共有します。
この問いを考えるたびに、胸の奥が少しざわつきます。
もし配当が今の年収を超えたら。
生活のために働く必要はなくなります。
上司の顔色をうかがう必要も、評価を気にして無理をする必要も、本来はなくなります。
それでも私は、今と同じように働き続けられるのでしょうか。


誤解してほしくありません。

今の仕事は嫌いではありません。
むしろ、やりがいはあります。

責任ある仕事を任され、順当に昇進し、収入も上がっています。
世間的に見れば「うまくいっている側」だと思います。

ですが、その裏側で確実に削られているものがあります。

時間です。

子どもが小さい今この瞬間。
家族で夕飯を囲める何気ない日常。
「今日こんなことがあったよ」と話せる夜を過ごしたい反面
会社の期待に応えることになると子供の寝る時間に帰宅する日々。

妻への罪悪感と子供との触れ合う時間が昇進と引き換えに、差し出しているものがあると感じています。


会社は言います。

「ライフワークバランスを大切に」

ですが現実はどうでしょうか。

出世するほど責任は重くなり、会社側となると休日との切れ目もなくなります。
“裁量”という名の業務量が増えます。
期待に応え続けることが暗黙の前提になります。

評価される人ほど忙しくなる構造です。

綺麗な言葉と実態のズレ。
その違和感を、偉くなるには「みんなそうだから」と自分に言い聞かせている部分もありますが本音は、少し違います。


だからこそ、高配当株を積み上げ、
配当という“もう一つの給料”を作ってきたことが結果論として、いざとなれば自分らしさを主張しても良い材料となりました。

FIREという経済的に自立し、早期リタイアするという概念考え方がありますが

私は早期リタイアそのものが目的ではありません。

欲しいのは「いざとなれば辞められる選択肢」です。

辞めても困らない状態。
お金のために我慢しなくていい状態。

それは会社への反抗ではなく、
人生の主導権を自分に取り戻すことだと思っています。


もし配当が年収を超えたら。
そのとき私は、何に従って働くのでしょうか。
お金ではありません。
評価でもありません。
もしかすると惰性かもしれません。
これまで築いてきた立場を手放す怖さかもしれません。
そこに今は正直明確な方針がない状況ですが、もしその時が来る前にある程度ビジョンを考え、妻にも共有しなければならないと思っています。


順当に出世している、その延長線上にある未来が、本当に自分の望むものなのか。
定年まで走り続けることが正解なのか。
子どもが大きくなったあと、「もっと一緒にいればよかった」と思わないと言い切れるのか。

その問いに、まだ自信を持って答えられません。
ちなみに父は単身赴任の仕事人間で家族との時間をほとんど持たない性格であり、反面教師として私はできる限り家族との時間を人生に使いたいと思っていますが、父が柱として家族を支えるものとして仕事をするものという価値観もあり、悩んでいます。


おそらく私は、配当が年収を超えても、すぐには辞めないと思います。(分かりませんが)
ですが、そのとき初めてこう言えるはずです。
「お金のためではありません」と。


私はFIREをゴールにはしていませんが
「辞められない状態」で働き続ける人生だけは、選びたくありません。


配当が年収を超えたとき。あなたは、それでも働き続けますか。